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2015年3月16日

天空の城?マチュピチュ~南米逃亡?雑記・その2

庶務長です。
三寒四温でようやく春の兆しが垣間見れるようになってきました。

が。
まだまだ、晩は冷え込んでますね。
風邪と花粉症はとにかく注意です。


というわけで。
お約束通り、南米日記2回目です。

今回の逃亡の目的はマチュピチュ、そしてウユニ塩原!
体力がなんとか残っているうちに一回は行かなきゃね、というのが事の発端。
でも、同行二人(空海サマではないですよ)。
私より一未来(一昔の逆デス)年齢の違うやまと社外の旅仲間・N嬢。
体力は勿論如実に違った次第。ううううむ。

▼マチュピチュへ向かう

P2160116.JPGまずマチュピチュの麓(といっても500m下)のマチュピチュ村(アグアカリエンテス村)まで行かなくてはいけない。
(←こじんまりとしたキレイな村でした)

大体がクスコから徒歩、バス等が安くて行けるが(中に自転車というツワモノも)、崖からバスが落下というニュースも良く聞くし、何せ先を急ぐ。ついでに交渉技術もない我々は一番高い列車で行く。
ペルーの物価からするとびっくりするほど高い(往復一万円程度、B&Bが1,000円程度なのに)が、安全と時間を買った次第。


でも、クスコからの途中で崖崩れがあった模様。途中駅から乗車。帰りもクスコへバス代行で戻ることとなった。


クスコからバスでオリャンタイタンボ駅へ2時間程度揺られ、列車に乗り換え。
展望列車ビスタドーム号へ。約二時間で到着。
(中もとってもキレイ。インカファッションのショーや民族の祭りなんかも紹介してくれます。ペルーレイル頑張ってマス)
P2170323.JPG
3泊4日のインカトレッキングをする場合は途中のピスカクチョ駅で乗り換えとのこと。
インカ道を歩くのですが・・・実際、ちょこっと歩いてみたものの・・・古代の南米の方々はよほど健脚だったに違いない!

しかも高地で急勾配。
10m歩くだけでぐったり。私無理。
しかも幅1m程度で勿論片側は崖。柵も当然無し。
景色は絶好だが、恐怖も同時に最高潮。

ウルバンバ川の両側を行ったりきたりしつつ列車は進む。
険しい山肌にはインカの段々畑の跡と思しき石組みや壁の跡があちらこちらに点在している。
P1000274.JPG
(こんな風景がいきなり現れる。どうやって登るの?→)
3,000m級を走っているのに羊歯植物とサボテンが同居している。
そして緑が深い。
何故、あんな不便なところに街を作ったのだろう、と思っていたが、道中なんとなく当然のことだったに違いない、と肌で感じる。
日本の森林限界は富士山や日本アルプス2,500m程度。だからさぞペルーも荒涼とした地面が広がっているのだろう、と思い込んでいた。
が、熱帯のそれは3,800mあたりまで。
湿気も十分。緑は豊か、種類も豊富。
草木があれば牧畜も可能、居住環境が整っているようだ。

高度は高いが決して「天空」にあるのではない、ということ。
そんなことを思いながら風景を眺める。

この列車には重量制限あり。
一人荷物が5kgまで。
やはり重たい荷物は持ち込めない。崖を走る列車ならではである。

▼マチュピチュに登る


村のバス停には早朝から続々と観光客が集う。
30名程度の中型バスが満員になると、登山を始める。
次々に急勾配を登っていくバス。
村からは30分程度で標高500m上の遺跡につく。

が。

ハイラム・ビンガム・ロードと呼ばれる坂道は離合が出来るか否かの狭い絵に描いたような九十九折り。
勿論舗装無し。
ここを次々とバスが登ったり降ろしたり。
世界中から集まる観光客を運搬しているのだ。

慣れているとは言え、崖ぎりぎりの離合は肝が冷える・・・なんて生易しいものじゃない。
涙がちょちょぎれましたよ、恐怖で。
私、30年経っても絶対このバスの運転手になれない!と切れ気味で叫んでおりました。

バスが怖いなら徒歩で、という方々も結構いた。
が。
2,000m以上の土地ではやっぱり空気は薄いのだ。
一歩一歩が身にしみる。ゼッタイムリ。
アノ方々は何時間かかったのだろうか・・・

▼さてようやく入り口


入り口には観光客がいっぱい。
10分ほど険しいインカの階段を登っていくと、ふっと見えてくる。
あの、誰もがガイドブックで見るあの景色。

P1000312.JPG
(じゃ~ん!)

歩く途中で下の村が途切れ途切れに見える。
でも、下からは分からない。
摩訶不思議な構造。
P1000293.JPG
(微かに見える村。向こうからは見えません)


世界中からこんな僻地に訪れるということの事実。
世界遺産だから、というだけではない、と思う。
スペイン人の侵略に曝されずほぼ完全な形で残ったインカの遺跡。

天気の変わりやすい山の頂上にあるにもかかわらず遺跡が崩れないのは10本の排水溝が雨水を全て崖下に逃がし、地面を崩さないというインフラ技術。
P2170269.JPG(←見よ、この壁。穴太衆にもタメはります)
ハガキ一枚も入らない壁の石組みの巧妙な仕組み。
車輪の概念がなかったのに大きな石を運んで加工した巨石文化の七不思議。


こんなものが残っている、ということ自体が奇跡。

文字もなく文献も残っていないので、何のために、誰が、などという意図が解明されない、というのも魅了される一端なのかもしれない。
P1000350.JPG









(おじさん、修復中→)
遺跡の中をを歩いていて気が付いたのは、今でもあの地に住まう人々は往時の文化を大事にしている、ということ。
警備員が各所にいて、危ない箇所やルール違反の客には厳しく接し、方や修復員が崩れた瓦礫を修繕しているものの、客寄せをするために、整備したり柵を作ったり、道をアスファルトで固めたりなぞしていない。

棚上げのような、飾り箱に入れてリボンを架けているような「遺産」ではなく「生きたまま」「あるがまま」にしていること。
・・・断崖絶壁がそのまま歩道のすぐ脇に「あるがまま」であるのは非常に恐怖だったんだけど。
P1000333.JPG(←柵がないんですよ、こわいのなんのって)

でも、そういう彼らの自然な受け入れ態勢が、更なる魅力を、世界中が「見たい」と思わせるような魅力を増幅させている。

南米の人たちは、インカやティワナクといった文化をスペイン人に縦断爆撃のように壊され、キリスト教文化を強引に押し付けられた歴史を持つ。
既に、先住民とスペインの民族の血は交じり合っているので、どちらも自分のルーツに当たるはず。
でも、歴史上の事実は事実として、それすらも受け入れているような説明や態度を各所で見た。


整備されていない、と言ってしまえはそれまでである。

が、車が通る道だからといって車用にアスファルトを引いたり、観光客の増員を目指して山を崩してホテルを拡張する、といったようなこともしない。
案内する観光用案内板ですら最小に抑えてある。
最低限の設備で、今まであるものをそのまま残す、という発想はアメリカ、欧州、ましてや日本にはないものだった。

こういうのもあり、と新しい方向性を見せてくれたような気がした。

ちなみに遺跡の奥に鎮座する山はワイナピチュ。

「若い峰」という意味で遺跡より300mも高く、神殿跡があり神官が居住していたようで入山できる。一日400名という限定らしい。


遺跡から、かの方角を眺めれば、頂上から手を振る登山者たちの姿。
そりゃ、天空の遺跡を上から望めるけどさ・・・
空気薄い上に幅1mの石畳で片側崖の登山道。
P1000304.JPG
(左側、断崖絶壁デス)


・・・絶対無理。

今回この四文字熟語を何度使っただろう。
人間、分相応が生きる道。


次はウユニ塩原の巻。